話を聞かせて。

今日は一層、寒かったですね。
今日の日誌を書きます、鈴木淳です。よろしくお願いします。

外は首が縮こまるような風でした。
アップで冷えた体を温めます。
2〜3人のチームで、もつれるように群れて、その群はカミからシモへ、シモからカミへ渡ります。
群の中ではお互いの手足身体の隙間に、お互いのそれを滑りこませ、
しかし決して接触しないまま、すれすれにすれ違いながら。

次に群は解体され、たまたま出会った数人ですれ違いを繰り返します。
或いは1人で。私は私ともすれ違う。

今日のメインワークは、会話でした。

椅子に座って日常会話。二人で。三人で。立ち話で。
テーマはすれ違いです。
話し手が綴るタイの旅行記も、ボーリングに行った懇親会も、日常たわいもない話も、聞き手は興味を持って聞くのですが、相槌や返答が、そして身体が一致しないのです。
考えてみると、普段でもこんなことは起こり得ます。しかしステージで行われると不条理です。そして不条理が積み重なると、何か一層深まった空気が現れる気がします。
すれ違い、噛み合わない会話。会話に噛み合わない、ズレた身体が置かれる。それでも会話は続きます。
稽古で試し繰り返された会話の末、手応えがありました。日常から非日常までは、歩いていけるところにあるかのようです。

今日はこの辺りで。ではまた。
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ドナドナドナドナ

こんにちは。
熊谷理沙です。
12月12日、師走の稽古あれこれを綴ります。

この日、まずはだらけた身体を軽く弾ませました。
細胞ひとつひとつが冬眠に入ろうとするこの季節にあちらへこちらへと飛び回るのです。
はたから見たら酔っぱらいが超激しく酔っぱらっているみたいな風貌ですが、ある意味それにすごく近い身体になっているかもしれません。
そこに自分の意思はありません。脳を介さずにただただ身体が正直に思うがままに動いていく。
アンドレ・ブルトンの自動筆記ってきっとこんな感じだと思っているのですが、どうでしょう。

さて、その身体に意思を置きます。
左右の肩と腰を点と点でつなぎ四角い面でつなぎ動くのです。
これがなかなか、自分の身体というものは言うことを聞かないもので、水平に垂直に面を動かすというのはなかなか難しいものです。
その点を少し揺らしてみたり、捻ってみたり、引き剥がしてみたりくっつけてみたり、ひっくり返してみたり。
自分の意思なのか、身体が勝手にそうなるのか、まさに酔いそうな感覚のなか動いていくことで生まれる動きもあるのです。自分の身体なのになんだこれ。

声も身体の一部ですが、声にも自分が知らないような材質、素材のものだってごろごろあります。
いや、本当は知らないことないのですが、気づいていないだけですね。
ひとつの身体で色んな絵が描けるように、声でだって色んな絵が描けるのです。
この日は横一直線で並びで各々の声を出していくということをやりましたが、声が重なりあい、響きあい、色んな作用をすることでそこにはない風景が生まれたりもしました。
ジャングルや工場、たまたま電車で隣り合った人、恋人同士の部屋。

声といえば、この日はメンバーの八木光太郎が一部ワークをしてくれました。
なんの変哲もない文章を読み上げるところから始まりそこから八木くんの着色が加わっていくのですが、声の質感が変わると見ている方に伝わってくるものまでまったく違いますね。

ぜひ、以下を声に出して、色んな声の質感で言ってみてください。

ドナドナドナドナ

では。

呆けの歩き

こんにちは。八木光太郎です。
稽古場ブログ書きます。

11月31日の稽古は身体を使ったワークが中心となりました。フロアワークだったり、僕個人としては久しぶりの即興の時間もありました。個人的に最も印象に残っているワークは『呆けの歩き』です。心ここにあらずといった心持ちで前進する。文章にすると簡単そうに思えるかもしれませんが、これが中々難しいのです。取り組んでいる他のメンバーの身体が面白いのはもちろんなのですが、一番目がいってしまうのは顔でした。呆けた顔が横一列に並んでいる様は壮観で、重厚な力をはらんでいました。これだけでもずっと観ていられると思いました。その人の人生が透けて見えると言いますか。どれだけ経験豊富で訓練を積んでいようと、最終的にものをいうのはその人自身の人間的魅力だとよく聞くので、これからも稽古もそうですが、人生経験を豊富に積んでいきたいです。

八木光太郎
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