※限定公開!!  GERO 旗揚げ記念インタビュー 『キムからでる』

伊藤キムが創作活動を「再開する」という言葉に対する違和感が、未だに拭えない。確かに伊藤キムは10年間、「自身の名義で振付をしたダンス作品の創作」をしていない。しかし、たとえば教育の世界でワークショップを学んでいる人間(つまり、僕のような人間)にとっては、伊藤キムは、日常的にその名前を耳にする数少ないダンサーであったりする。

GEROという試みを、「やっていなかった事を、再開する」と捉えるのは、短絡的に過ぎないだろうか?この10年間は「GERO」にとってどのような意味を持つのか?そんな疑問を持って、1年間一緒に作品をつくってきたキムさんに、今更インタビューを申し込んだ。 
 ―GERO ドラマトゥルク 山田カイル




―ダンスでも演劇でも、昨今はプロデュース公演という形態が多いのかなと思います。活動を再開するにあたってカンパニーという形をとられたのは何故ですか?

輝く未来というカンパニーをやっていた頃から、いわゆるプロデュース公演ではなくて、みんなで年中稽古をやって、本番前何か月かは、さらに集中的にやる・・・という形だったんですね。結局捨てたりするものも多いんですけど、色んな足跡を残しつつ稽古をしたり、皆で共同作業をする。その日々の積み重ねが、良い作品つくりに繋がるのではないかなと思って。

あと、GEROは参加してる人たちが年齢もキャリアも千差万別なので、突然集まって突然つくる、ということは、なかなかできない。下地をつくっていく必要があるというか。それで、カンパニーという形で、週に2回稽古をすることにしました。

―「新・輝く未来」を解散されてからGEROを始めるまでの5年間は、かなり教育に目を向けられていた期間だと思います。教育に携わるようになったきっかけは何だったのでしょう?

輝く未来の頃から、作品創作の傍ら、ワークショップはやってました。そういうとこに来るのは大学生とか、若手のこれからダンスやりたいって人だったり、多少年配の人で、全然そういう経験ない人とか。あとは子どもとも、たまにやったりしてました。
その頃はあんまり、教育とかは頭になかった。でも、ワークショップをやってるとなんとなく、皆、とても自分を抑えながら生きてるんだな、と思ったんですよね。

何ていうのかな、感じたままフッとやらない。色んなことを気にしながらやってるというか。一般社会でそうなのは分かるとしても、スタジオとか稽古場でも、人の目を気にしながらやってる感じを強く受けた。知らない同士が集まってるワークショップで実際、難しいのかもしれないけど。

ヨーロッパでワークショップやったり作品つくったりすると、全然違う。勝手というか、わがままというか(笑)。それと比較すると、皆自分を抑えて生きてる気がして。出したいものはあるんだけど、それを出せない。出せる状況になれてない。それは何でなんだろうと思って、よくよく考えてみると、そもそも自分が思ったことをそのままふっと口に出したり行動したり、という習慣がないんですよね。それが当たり前だから、なかなか気づけないんだけど。で、その元は何かというと、学校教育。フラットに、おしなべて均一にされる。自分自身の頭で考えて行動する、という教育ではない。

だったら、まず教育という所に僕が入り込んで行って、子どもにワークショップやるなり何なりしないとダメというか、何かしたいな、と。良い作品をつくろうとか良いダンサーを育てようとか、直接は繋がらないと思うんだけど、もっと広く社会に関わっていきたいというか。ワークショップという窓から人々を見たときに、何かそういう事を感じたんだよね。

―「新・輝く未来」は、伊藤キムは監修という立場で創作に携わっていて、作品の振り付けは若手のメンバーがしていました。若い人の自己検閲に対する問題意識はその頃からあったのでしょうか?

そこは、そんなに直接は無いです。物作りをするうえでの色んな心構えみたいな事は、口うるさく言ってましたけどね。何て言ってたかな。忘れちゃったけど(笑)

作品の中身に関しては言わないんだけど、稽古のし方とか、ダンサーとしての稽古への取り組み方とか。「新」のときだけじゃなくて、ワークショップとか、昔の輝く未来とかでも言ってましたけどね。まあ、「問題意識を持て」って話なんだけど。

「新」の頃は、たとえば、僕がやるワークショップ以外にメンバーがやるワークショップも設定して、キムWSとメンバーWS一日で2つやったりしてた。自分のメソッドを確立して、それを人に伝える、という経験を積んでもらう意味で。

―「新・輝く未来」の活動を休止された直接の理由は、何だったのでしょうか?

矛盾といえば矛盾なんだけど、そうやって若手を支援したりお尻叩いてホレホレ、という気持ちでやってるうちに、消費されてる感じになってきて。いや当たり前なんだけど、そうしてるんだから(笑)。でも、本当にこれで良いのかな、って思った。ちょうど制作体勢が変わって、自分でも作品つくらないし。何か、僕が自分自身の人生の事を考えるようになって。じゃあこっちだ!というのがあった訳ではないんだけど、何か違うんじゃないかって。

―「新・輝く未来」を休止して5年、ご自分の名義での創作をストップしてからは10年、様々な活動をされてきました。その中で見つけた新たな切り口が「言葉」なのでしょうか?

いや、僕が言葉を見つけた(笑)のは、踊りを始めたときからですね。踊りを通じて言葉に出会ったというか。またワークショップの話なんだけど、やってるダンス自体が得体の知れない、訳わからないものじゃないですか。ワークショップとかやると、そのダンスを知らない人に伝えなくちゃいけない。そのときに、自分がやって見せて、はいこれどうぞ、というのもアリなんだけど、それを説明するために何某かの言葉を使う必要があって。

で、たとえば何かこう、懐に手突っ込んで何か出してきて、でも出してきたものは何か見たことない変なもので、「えー、これはこの前うちの近所で拾った黒い塊の中に入ってた・・・」とかって、説明をする訳ですよ。「で、これ押すとちょっと大きくなったりしてね?」とかいって。

得体の知れないものを、いかに他人に言葉で伝えるのか。そういうときに、色んな比喩とか何かで一生懸命言葉を探すんですよね、ああでもない、こうでもない、って。そういう事をやってるうちに言葉って面白いな、って思って。「喩え」とかね。自分なりの勝手な喩えとかを作って、言葉を皆に投げかけてみる、という事をやってるうちに、言葉と、身体と動きというのは切っても切れないな、と思うようになった。

―「言葉と身体」というと、経歴も相まって舞踏の創作の方法を連想します。そういう影響は、やはりあるのでしょうか?

ありますね。僕の師匠の古川あんずとかその辺の人は、まあ言葉にうるさくて。あの世代の人は、なんというか・・・いわゆる70年代から80年代にかけての、かなりトンガッてる感じ、闘争というか(笑)。僕のようなノンポリと違って、何かフッと言っただけで「お前、そんな事も知らないのか!」とかワーッて返ってくる。別にそんなつもりなかったんだけど・・・とかなったりして。彼らは言葉にはデリケートというか、こだわりがある。

でも、舞踏とかアングラの人たちの言葉に対するこだわりみたいなものとも、僕の言葉に対する感覚はちょっと違うのかな。あの人たちはそのこだわりの裏側に、闘いがあるんじゃないかと思うんだよね。人に負けないための言葉で、武装手段のようなものなのかもしれない。僕は、そういう感覚はあんまり無いし、むしろ遊び道具というか、そういう感覚に近いかもしれない。うん、彼らにとっては武器なんだよね、多分。

―言葉や創作に関して、あまり没入しないというか、少し冷めた目線を持っている、という所があるのでしょうか。

「踊りは遊びだ」というのは、僕の師匠の古川あんずの教えというか、いつも言ってた事なんだけどね、遊びから始めるというか。彼女自身も僕と似てるタイプかなと思うんだけど、とても客観的にものを捉える人だった。もともと大駱駝艦の所属だけど、いわゆる舞踏と距離を置いてるところはあって。彼女の影響は多分に受けてると思う。
あと、僕自身、なんかね、ちょっと、社会のオモチャにされたいみたいな感覚があって。俺で遊んでくれというか、自分自身を世に晒したい、というか。好きにしてください、どうぞ!という感覚があって。うまく説明できないんだけど。

―六本木アートナイトや愛・地球博といった大規模なイベントでの演出も、そういうところに繋がるのでしょうか?

屋外とか、大道芸とかね。今回の作品も取り囲みの舞台なんですけど、「衆人環視」という言葉が好きで。前後左右もうみんな見てるっていうか、晒し者にされてる、っていうんですかね。それが好きなんだよね。
やっぱり人目にさらされたりするというのは、どうにもならない状況。そういう、「うわ、どうしよう」というときに、何か人間の底みたいなものがニョロッとにじみ出てくる気がするんだよね。その感覚が好きなのかな、多分。あと、のっぴきならない状況っていうんですかね、「有事好き」なんですよ。平時はあんまり興味がない。

「伊藤キム+輝く未来」の頃に世田谷パブリックシアターで『劇場遊園』というのをやったとき、二部構成にして、前半で劇場のホワイエとか屋外を使うというのをやったんです。近くの三茶の駅に続く地下通路とか、あの辺も使ってやろうという話で準備してたんだけど、二週間前になって、これが使えないということになった。えー、あんな稽古したのに・・・通しまでやったのに・・・みたいな。結局、劇場の中のホワイエだけ使う事になった。

二週間前に連絡を受けたとき、「うわー、どうしよう」と思いつつも「よっしゃ、やってやろう!」という気になった。この状況をどう打開してやろうというかね。そういうの、すげー燃えますね。「どうにもなんない!んー!」というのが大好き。

―かといって、トラブルを起こしてやろう、という発想にはならない?

ないですね。ギリギリの所に追い詰められて打開策を見つけるというか、マイナスをプラスに転化するときの喜びといったらない、といった感じ。

あ、そうそう。だから「遊び」という話でいうと、自分を客観視して、「これで遊んでやろう」っていうときの、なんか、「これ」になりたい。遊び道具。例えば、ピエロって自分を茶化して王様とか偉い人を喜ばすっていう役回りだけど、それに近いんだろうなと思うんだけどね。

―GEROの活動を通しては、どういう風に遊び道具になろうと思っていますか?

あー、あんまり、俺自身が遊び道具に、っていう感覚は、今は無いかも。出演もしないし。そういう意味では、今までにない感覚かもしれない。

―ある意味、GEROは「新・輝く未来」以降の教育的な活動の延長ともいえるのでしょうか?

それは、あるかもしれない。教育的といっても色々あるけど、子どもの教育のみならず、ひろく一般社会に向けて関わっていくという意味では、この数年間、おやじカフェやったり、普通の人とワークショップやったりしてきた。それまでよりももう少し、世の中を広く見ようと思って。で、それを自分の作品づくりの中にもちょっと取り入れてみようというか。
その一つの手段として「言葉」があるんだけどね。前はそれが無くて、身体だけがあった。身体だけだから社会性が無いのかというと、そうではないと思うんだけど、ちょっと言葉を使うとなると扱うエリアが変わるというか、広がるというか。そこに挑戦してみたいという感じですかね。

―新しい領域に挑戦したいという意識は、メンバーの集め方にも反映されているのでしょうか?


前は若手ばっかりだったけど、今回はあんまりそういう風にはせずに、ここ数年の経験を活かして老若男女色んな、という設定をして。でも結局、そんなに千差万別でも無いかも。50過ぎのおっちゃんは居るけど。ただ、まあ、役者だったりダンサーだったりという意味では、ちょっとデコボコな感じはあるよね。京都造形芸大で教えてた子とかもいるし、今までやってきた色んな現場が繋がってる、という感じはあるね。

―今後のGEROのビジョンを聞かせてください。

動きとしては、作品をつくって、色んな場所で上演をする。上演をしつつ、作品を育ててカンパニーを確立、育てていく、っていう事が一つ大きいですよね。

―今後、地方の公共劇場で、地元の人たちとメンバーがワークショップで一緒に作品を作る「GERO活動」も予定されています。こういった試みは、過去のカンパニーでも行っていた事だったのでしょうか?

意図はしてなかったけど、似た事はやってた。美術館やホールなんかにある大きな階段を使った『階段主義』は、まさにそうだった。あのときは、日本全国色んな階段でやろうという趣旨だった。そうなるとカンパニーメンバーだけではできない。だから地元の人と関わるという事が必要だったので、ワークショップをやることにした。

今回は意図的に、一個の作品ではなくてGEROの活動自体を豊かにしていくために、日本各地で試演会をやる、という感じを想定しています。ただ、それはあくまでこちらの思惑で、地元で表現活動に関わる人を刺激したり、育てたり、そういう事にも繋がると思うんだけどね。

昨今、地方の公共劇場がどうやって市民に受け入れられるか、という大きな課題がある。そういうところに貢献していかないと実際僕らも生き残れないし。そういう社会的な意味合いもあるんですけどね。

―GEROは、創作のテーマとして「コミュニケーション」「生身のカラダ」「ドキュメンタリー」を掲げていますが、ドキュメンタリーという言葉自体、ラテン語の “docere”―「教育する」から来ています。広い意味で、GEROに関わる人たちの「教育」というのがキーワードになってくるのでしょうか。

結果的には、そうなるかもしれないけど。GEROでは単純に、作品をつくる。副産物的に人が変わっていったとか、深まっていくというか、そういう事はあると思うし、そうあってもらいたいですけどね。自分が思ってる事により意識的、自覚的になったりとか。それによって今までできなかったことをやるようになったりとか、でも、それはあくまで結果。行った先の出来事、という感じですかね。

―最後に、

3つのテーマ「生身の体」「コミュニケーション」「ドキュメンタリー」というのは、GEROの出演者に限らず、世の中生きてる人みんなに共通する問題。誰でも人と関わるし、自分の身体を引きずってるし、それを一生懸命見つめながら、客観視して「ドキュメント」しながら生きているし。

良いことも悪いことも含め、自分自身が抱えてる事をGEROの作品のなかに、鏡のように見出してもらえるかもしれない。そこに自分自身の姿を見るというか。そういう道具ではありたいと思います。とはいえ、まともな鏡ではなくって、ある意味ブッ飛んだ鏡というか、そういう風にはしたいと思いますけどね。

2015年 12月某日
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