9月17日の稽古~秋深し 隣は何を する人ぞ~

シルバーウィークという言葉も定着してきましたね。
彼岸花も咲いて秋が深まる頃になりました。

涼しくなっても、稽古では汗が飛び散っています。
しかし、激しい動きをするのだけが稽古ではありません。
どんな稽古をするかにはじまり、疑問点や稽古で感じたことなどをメンバーで話し合っています。
その話し合いで、良かったところや弱点、より深めて行きたいところなどを見つけられます。

この日は、ある稽古を二人組で行うのと三人組で行うのをやってみて、その違いを話し合いました。
ふたりでやると激しくなって格闘技のようになって行くのが、三人だと役割を途中で入れ替わったりもするので、激しさ一方ではなくなるのです。
その面白さに気付き、組み合わせを変えて試みました。

GEROがやろうとしている舞台を、メンバーの私達もまだ観ていないのです。
しかし、それは断片ではあるけれど、稽古の中にあります。
それを、最初の観客として見つけて話し合っています。
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8/26 稽古レポ

後藤かおりです。
夏も終わり。だいぶ涼しくなりましたね。この夏の思い出といえば、前髪をかなり短くしたらメンバーに「奈美悦子」に似てると言われました。ありがとうございます。

本日もキムなし稽古です。人数は少なめでしたが、GERO音楽アドバイザー松平さんからの夏休みの宿題をいただきましたので、それを元にワークを行いました。普段、自分たちの生活の中で聞こえている音。日常は無音ではないと思います。私はGEROに所属してから、日常などにある色々な音に敏感になった気がします。そして稽古を重ねて、松平さんの稽古のようなこれまでの私にないものを取り入れることに、身体も脳も喜んでいる気がします。GERO旗揚げまであと4ヶ月半。その頃の自分はどうなっているのかなーと、自分を楽しみながら、稽古に励みたいと思います。

おまけ。GEROのメンバーを野球のチームに例えたらメンバーはどのポジションなのか?ということを書きましたが、その続きも。私の勝手なイメージなのであしからず。

まず、二塁手。御厨亮。
私的にこのポジションの人ってキャプテンとかやってそうなイメージなんですが、彼もそれタイプ。まとめ役でもあり盛り上げ役でもあるけども、お兄さんのようなスマートな亮の時もあるし、それとまた逆で子供のように床でゴロゴロしちゃうような亮の時もあります。笑
よめない・・・。だからどんな球でも拾ってなげちゃうどこでも守れるオールラウンダーな気もします。

遊撃手は、定行夏海。
遊撃手その名の通り、遊びが豊富。天真爛漫二次元少女。身体、三次元。フットワーク軽。だから、内野だけでなく外野とかファールボールとか取っちゃいそう。少女だけど、女な面もあり。少女だけど、しっかりしてる。この子もよめません・・・・。ふふふ。

次回へつづく。
そして、今年の夏の高校野球覇者は、東海大相模。おめでとうございます。
その日の熱闘甲子園のエンディングVTRをみて涙した人も多かったでしょう。
青春って歳をとるとなおさら、愛おしくなるもんですね。また来年が楽しみ。

また長くなってしまいました。
最後までお読みくださりありがとうございました。

後藤かおり

GEROYAGIです。

【GEROブログ】9月16日 八木

GEROブログに久々登場、八木光太郎です。GERO稽古参加自体が久しぶりなこともさることながら、普段よく使っている稽古場がある飯田橋へ行くのは別現場の稽古本番があったので、1月ぶりくらい。9月も8月に続きキムさん不在のメンバー稽古が中心。今日はこれまでの稽古のおさらい等々。意見が飛び交う稽古場に充実したものを感じました。来年1月の旗揚げ公演には、今やっているものがどういう形で舞台に表れるのか出演者側ながら楽しみでなりません。文頭でも書きました別現場の公演(演劇公演)にはダンサーの木佐貫邦子さんもアドバイザーとして参加していて、本番を観た木佐貫さんが「私の専門はダンスですが、今日の本番を観て、ああ、演劇って良いなと思いました。」と仰っていたのが至極印象に残っています。演劇に携わっている人間としてこれより嬉しい言葉はありません。20代前半はビックになりたいとか有名になりたいとかしか考えていませんでしたが(もちろん今もその野望は消えてはいません。)、最近は演劇の良さを多くの方に知ってもらいたいが為に続けている節もあります。GEROはそういった面では演劇の良さもダンスの良さも双方加味したものをお客様に提供できるのではないかと思っています。試行錯誤の日々は続きますが、GEROの活動に今後共ご期待ください。

あなたの泣き声

8月20日の稽古ブログです。

これを書いた頃は残暑だったのですが、今はすっかり秋になりました。

稽古ではメンバーからの提案で行うものもあります。
今日は後藤かおり提案の「泣き声・笑い声」を静止状態から徐々に大きくして最大になったら小さくして静止で終わるのを試みました。これには「泣き声・笑い声」とは関係のない身体の動きも伴います。

この稽古での気付きは、泣く時は声を押し殺して泣いていて、声をあげて泣く経験は子供の頃だけだったので、泣き声をどうやったら出せるか分らなくなっていたのです。声を出そうとすると「ウソ泣き」になってしまう。
大きな泣き声を出すのを憚ってしまう心の鍵は強固で、記憶と行動をも縛っていました。
これは個人の経験であるだけではなく、日本社会の持つ特徴であり、ジェンダーの問題でもあると思います。

これに対して、笑い声は出しやすかった。
大声をあげて笑う経験は、人前ではやはり押し殺すことはありますが、日常的にあるからです。

稽古で得た気付きをどう活かして行くかも課題です。